ガルボでひと休み。

いろいろ書いていきます。

“ぼっち”の方が楽・ママ友不要論

私には2009年生まれの娘と2014年生まれの息子がいます。

娘が産まれる前は初めて母親になるということで、区がやっている母親学級に参加し、そこで仲良くなったママ仲間が数人出来、互いの出産の際は励まし合ったりしていました。もちろん予定日はあくまで予定日なので、過ぎてしまう人もいれば、私の様に予定帝王切開となって予定日が早まってしまうケースもありました。無事に産まれ、子供が外に出られる様になってからは、誰かの家で会ったり、食事をしたりしていました。

しかし、共通点は子どもたちの生まれ月が近いことだけ。母親である私たちは、住んでいる所は近所でも無ければ、仕事もバラバラ。当時、仕事をしているのは私だけで、それ以外は専業主婦だったりパート勤務だったり、退職した人だったり。格差を感じたのは仲間のひとり、Aさんの自宅に招かれたことと、みんなで食事に行った後にそのままデパートに寄った時。Aさんの自宅は駅前の当時新築のタワーマンション。ご主人も名の知れた企業でのエンジニアだったので、それなりに収入はあるのだと思いました。私服やグッズはブランド品だったり、実際に使っているベビーグッズも普通に購入すると高いモノでした。決定的だったのは、みんなで食事に行った後のデパートに行った時。Aさんが「今日はパパからお小遣い貰ったからコレで〇〇(子供)の服買うね。余ったらスイーツも」と。他の何人かも同じ様にご主人から「楽しんできて」とお小遣いを渡されたこと。

当時の私は食事代もやっと捻出し、娘の服も母からのプレゼントや夫の親族からちょっと良いもののお古(女の子多かったので)が殆ど。もちろん夫も仕事していなかったので、お小遣いなんて何それ?でした。デパートの店内に入る前に仲間と別れました。その後も定期的に会ったりしていましたけど、ある日仲間のひとり、Bさんがご主人が故郷で店を開くため、東京を離れるというので、皆でCさん宅に集まってお別れ会をしました。私はその後再就職し、しばらくはみんなとLINEで繋がっていましたが、3.11の時にAさんが自分の携帯に入ってきたあるデマを皆に拡散してしまいました。「これを5人に流してほしい」と来ていましたが、もちろんスルー。以降その仲間とは一切連絡を取っていません。仲間が”友”になることは有りませんでした。

娘の保育園選びは狭き門だったので、第2候補に書いた園には入れたけれど、家から結構遠いエリアだったため、同じクラスのママさんたちとは打ち解けても「子供の習い事のスクールが同じ」「マンションが同じ、または近くに住んでいる」「仕事場が同じ」という人達ばかりで、飲み会に誘われても全く会話に参加出来ませんでした。また、同時期に2人目が出来たなどで、“ぼっち”に。娘が年中組になって息子が出来ましたが、出産以前に色々と問題があって奔走していたので、それどころでは無かったと記憶しています。息子を出産した後も暫くはドタバタしていました。娘が保育園卒業すれば小学校は必然的に別になりましたし。

小学校では親の心配をよそに、娘には友達が沢山できましたが、そこでも私は“ぼっち”でした。小学校のママさんは近くの幼稚園、保育園からの仲でしたので、私が入る余地すらありませんでした。1~2年生のころの保護者会は何度か出席しましたが、完全アウェー。ママ友を作ろうと必死な方もいましたが、もう私はママ友を作る気力も失せていました。息子の保育園は近所に出来た所に入れたのですが、送り迎えの時間が他のママさんたちと全く合わないため、6年の間で知っているママさんは殆どいません。たまたま近所に住んでいて、買い物の時に挨拶を交わす程度だったり、同じ保育園や小学校に通わせている夫の同級生の奥様何人かと行事の時に会話する程度です(夫と一緒の時限定)。

中学校は小学校からの延長ですが、小学校に比べて行事や保護者会で集まることは殆ど無く、高校に行ってしまえばそう言う機会は皆無となります。去年高校の保護者会に行きましたが、隣同士で会話している人はゼロ!子供の成長とともに、親同士の人間関係も段々と希薄になっていくものですね。

ママ友という関係が子供が成人してからも続くのか、子供の成長や進学の過程で終わってしまうのかはそれぞれですが、無理して作る必要も無いと思っています。辛かった時に寄り添ってくれたママ友がいたら、数年経ってもその関係は続いていただろうけれど、残念ながらそういう人は周りにいなかったので、家族さえいれば私はママ友なんて要りません。必然的に最後は1人になると考えると、“ぼっち”でも平気なメンタルの強さと経済力を今のうちから身に着けても遅くはないと思っています。